マレーシアと日本のビジネスの架け橋的存在、鵜子氏にインタビュー!
鵜子氏の曾祖父は、なんと大正時代に米国のカリフォルニア州のサクラメントという街に移住。現地で日本人学校を一から設立し校長をしていた。
「幼少の時から、曾祖父の話はイヤというほど聞かされて育ってきましたから、自分もいつかは日本を出て新天地を見つけるんだという根拠のない思い込みはありましたね(笑)」
大学を卒業後、リクルートに入社。無料クーポン誌の先駆け的存在である『ホットペッパー』の創刊編集長の任に就く。話題の雑誌の編集者としてテレビやラジオなどにも出演した。
「あの会社は、人が財産みたいなトコでしたからいい出会いと経験はいっぱいできたと思ってます。でも『ホットペッパー』はひとつの街のコアエリアの情報量にとことん特化するというのが強みでもあり編集方針でしたから、いつの間にか自分の世界は、直径10kmくらいの円の中に留まってしまってたんですね。10kmより外側は未知の世界っていう・・・(笑)」
そんな状況に疑問を覚えた鵜子氏は、雑誌がテイクオフし後輩が育ってきたのを機に退社。38歳の夏だった。
“外の世界”を見て回ろうと退職金で旅に出る。目的地はアジア。その未完成さとエネルギーに昔から惹かれていたからだ。 香港を皮切りに最後はバングラデシュまで辿り着く。その道中にさまざまな出会いがあった。
「特に重要だったのが、クアラルンプールに在住19年という有名な法務コンサルタントの諸江さんとの出会いでした。実は、彼の人柄に惹かれ意気投合したのがマレーシアに移住し起業するきっかけになったんです」
そして、2003年12月に諸江氏と共に『桜リクルート社』を設立。未知なるマレーシアでの生活が始まった。







